釧路湿原の名づけ親として知られる北海道教育大学釧路校の故田中瑞穂教授が自然保護協会の組織化を強く訴えられ、1971年7月9日に結成総会が開かれました。北海道自然保護協会釧路支部として、支部長に上田五郎氏、幹事長に田中瑞穂氏が就任し会員30名により発足しました。1972年11月8日に開催された釧路湿原市民シンポジウムでは、田中試案として「釧路湿原国定公園化構想」を提案しました。その後、同支部は1975年5月17日に「釧路自然保護協会」として発展独立しました。1981年6月には釧路湿原の国定公園化構想を発展させ、「国立公園化構想」を発表し、国立公園指定に向けて活発な活動を進めてきました。また、大楽毛海岸砂丘植生の復元、武佐の森や春採湖の保全などにも積極的に取り組んできました。このように、釧路自然保護協会は釧路地方や特に釧路湿原の保護・保全に対して調査研究や動植物や自然環境の保全活動を展開してきました。